江戸から現代へ、深川の八幡様の歩み
富岡八幡宮は、寛永4年(1627年)に創建されました。当時永代島と呼ばれていたこの地に、長盛法印という僧侶が神の啓示を受け、八幡神をお祀りしたのが始まりです。「深川の八幡様」として親しまれ、源氏の氏神である八幡大神を尊崇した徳川将軍家からも手厚い保護を受け、江戸最大の八幡宮として大いに栄えました。
貞享元年(1684年)、幕府公認の勧進相撲が初めて行われました。約100年間にわたり境内で本場所が開催され、現在の番付制度などが確立されるなど、大相撲の基礎が築かれました。
徳川将軍家の庇護を受け、「江戸最大の八幡宮」として発展。門前町は大変な賑わいを見せ、多くの参拝者で溢れかえりました。その様子は浮世絵にも描かれています。
日本全国の測量を行った伊能忠敬は、深川に住んでいました。彼は測量の旅に出る前、必ず富岡八幡宮に参拝し、道中の安全を祈願したと言われています。
江戸時代から、地震や火災、そして関東大震災や東京大空襲など、幾度となく被災しました。しかしその都度、人々の篤い信仰心によって再建されてきました。
毎年8月に行われる例大祭は、江戸三大祭りの一つ。特に3年に一度の「本祭り」では、50数基の大神輿が練り歩き、沿道から清めの水が浴びせられる「水掛け祭り」としても全国的に有名です。
境内には歴代横綱の名が刻まれた「横綱力士碑」や「大関力士碑」など、大相撲ゆかりの石碑が多数建立されており、相撲ファン必見のスポットとなっています。
御神輿庫に鎮座する一の宮神輿は、ダイヤモンドやルビーがちりばめられた絢爛豪華なもの。その壮麗さは圧巻で、日本一の大きさと豪華さを誇ります。
毎月開催される縁日や骨董市、フリーマーケットなどで賑わい、七五三や初詣など人生の節目に多くの人々が訪れます。昔も今も変わらず、地域の人々にとってなくてはならない存在です。
正面鳥居・参道
富岡八幡宮御本殿・拝殿
七渡神社のご祭神は、宗像三女神の一柱である市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)です。 市杵島姫命は、仏教の弁財天(弁天様)と習合したことから、古くから「七渡弁天社」とも呼ばれ、多くの人々に親しまれてきました。 弁天様は、水の神、芸能・音楽の神、そして財宝を授ける福の神として広く信仰されています。 大正12年(1923年)の関東大震災や、昭和20年(1945年)の東京大空襲において、 周辺が壊滅的な被害を受ける中、七渡神社と弁天池は奇跡的に焼失を免れました。
弁天池
徳川綱吉の生母・桂昌院が、弁財天を篤く信仰していたことから、富岡八幡宮に弁天池が作られ、弁天像が祀られました。
富岡八幡宮の稲荷神社の由来は、1627年に菅原道真公の末裔である長盛法印によって創建されました。 当時「永代島」と呼ばれていたこの地に神託を受け、社地と氏子の住居地を開きました。 江戸時代には、徳川将軍家の保護を受けて信仰を集めており、特に月次祭は多くの人々で賑わいます。
力持碑
富岡八幡宮の力石持碑(ちからいしもちひ)は、江戸時代に力比べで重い石を持ち上げた力自慢の人々を称えるために建てられました。
当時、富岡八幡宮の境内では、奉納された力石を用いた力比べが盛んに行われていました。この碑は、その力自慢たちの偉業を後世に伝えるため、
明治37年に建立されたものです。境内には、実際に使われた力石も複数残されています。
歴代の横綱力士と強豪大関雷電爲右エ門を顕彰している。
12代横綱陣幕久五郎が発起人となって、明治33年(1900年)に完成。御影石で、正面に宮小路康文の揮毫で碑銘、裏面に初代明石志賀之助以降の横綱力士と、
「無類力士」として雷電の名が並ぶ。綾川五郎次を2代目、丸山権太左衛門を3代目とする。
富岡八幡宮の伊能忠敬の碑は、伊能忠敬が寛政12年(1800年)に蝦夷地へ測量の旅に出発する際、 当社の祭礼で測量器具を奉納し、旅の安全を祈願したことに由来します。 その後、測量事業が達成されたことを記念し、大正9年(1920年)に境内に建立されました。
●骨董市
毎月(第1日曜・第2日曜・第4日曜・第5日曜)開催
●フリーマーケット
毎月(15日・28日)開催
両方とも日の出~日没まで